焙煎機の前に立つと、緊張感すら漂う火力調整。温度計を見つめながら、0.1度の変化すら見逃さずに焙煎を進めていきます。
「深煎りの場合、仕上げるまでは膨らませすぎず、最後に一気に火力を入れてふっくら仕上げます」
そう話しながら、ふっくらと膨らんだ深煎り豆を手に取って見せてくれました。その豆は、美しい艶と立体感をまとっています。焙煎とは、生豆を加熱し、香り・甘み・コクを引き出す特別な工程。アミノ酸と糖が反応する「メイラード反応」で香ばしさが生まれ、糖が焦げる「カラメル化」で苦味と深いコクが育ちます。さらに、水分が抜け、内部のガスによって豆が膨らむ「ハゼ(爆ぜ)」が起きることで、青々しい生豆が豊かな香りを持つコーヒー豆へと変化していきます。この複雑な化学変化と物理変化を正確にコントロールすることこそ、焙煎士の腕の見せどころです。
田村さんが信頼を寄せるのは、ドイツの老舗メーカー・PROBATのドラム式焙煎機。全国のコーヒーを飲み歩いた結果、「自分の好きな味を出せる焙煎機だった」ことから、この機械を選びました。
一般的には、予熱でしっかり熱を溜め、投入後の温度変化を見守り、乾燥で水分を抜いてベースを作り、1ハゼ前後の火力調整で味の個性を決定づけ、排出・急冷で味を固定するという流れです。
しかし、田村さんの焙煎はさらにその先を行きます。
味の決め手になる重要な指標は「ROR(Rate of Rise/温度上昇率)」です。わずかな温度推移が仕上がりを大きく左右するため、田村さんは10秒単位で細かくモニタリングし、0.1度、0.2度という極小の変化も決して見逃しません。
数値に微細な乱れが生じた瞬間、さまざまなサインと読み取り、味が崩れるのを未然に防ぎます。焙煎機には、火力を変えてから豆に熱が伝わるまで5〜20秒の“タイムラグ”が必ず存在します。
田村さんは、一瞬の温度変化から数分先の未来を予測し、遅れを見越して「先回り」で火力を調整。 このコンマ数秒の読みと修正の繰り返しこそ、機械には絶対に真似できない「神業」なのです。
焙煎は、豆そのものの個性だけでなく、気温・湿度・気圧といった自然の機微にも左右されます。なかでも雨の日の焙煎は、まさに“職人の勘と経験”が試される一瞬の勝負どころ。雨が近づくと、焙煎機の“内圧”が急に上がることがあります。
特にデリケートな豆の場合、そのたった一瞬の変化が味わいを大きく左右してしまう。
田村さんは、天候の動きを先回りし、内圧が変わる前の“最良の瞬間”に焙煎を着地させます。
気温、湿度、気圧、潜熱、そして数秒後に訪れる温度上昇など、刻々と移り変わる要素を読み解きながら、“いま、この瞬間だけの最適解”を導き出しています。
「五感だけでも、数字だけでもダメ。両方が揃ってこそ“安定した品質”は守れます」
田村さんは、世界でRORが注目されるよりも前から、このスタイルを続けてきました。
五感と科学を同時に操る、動き続ける焙煎。その研ぎ澄まされた一瞬一瞬の積み重ねが、Tsukikoya Coffee Roasterの“唯一無二の味”を支えています。
Tsukikoya Coffee Roaster 山の上店は、その名の通り、追浜駅から徒歩16分、坂を上がった高台にあります。オーナー焙煎士の田村英治さんが2010年に、ロースタリーを併設したカフェとしてオープン。もともと茶室だった古民家は、紅葉の季節には絵画のような美しい景色が広がります。
坂道は急ですが、その先に待っているのは「絶景と極上のコーヒー」。世界中からのファンも絶えない人気店です。
田村さんは、世界で唯一のコーヒー鑑定士資格である「Qグレーダー」を持ち、さらにジャパン コーヒー ロースティング チャンピオンシップ(JCRC)のファイナリストにも選ばれた実力者。20科目に及ぶ厳しい試験を突破し、世界基準の味を判断できる“本物の舌”を持つプロです。また、全国の職人からわずか数名しか残れない“トップ6”に選ばれた焙煎技術は、まさに匠の領域。
世界基準の味覚と、日本屈指の焙煎力、この二つを兼ね備えているからこそ、「田村さんのコーヒーは香りから違う」と評されています。
「焙煎が8バッチ続くと、気が狂ったようになります」田村さんはそう言って苦笑いします。
1度、1秒を追求する極限の集中力。それを維持し続けながら行う焙煎作業は、肉体的にも精神的にも想像を絶する負担です。本来なら3人がかりで行う「月間750kg」の焙煎を、彼はたった一人でこなし、時には作業が1日15時間を超えることもあるそう。
だからこそ、田村さんは「自分のペース」を大切にしています。体に余力があるうちに、あえて意識的に休憩を挟む。好きな音楽を聴き、コーヒーを飲み、心身をリセットする。その「余白」を作ることで、仕事後も元気でいられる状態を保ち、常にベストなパフォーマンスで豆と向き合い続けています。
「80歳まで、現役で焙煎を続けたい」
そのためには自分自身の体を守り抜くことも仕事の一部。
追浜の山の上で、今日も身体と対話しながら、理想の一杯を追求し続けています。
お湯を注いだ瞬間、立ち上る湯気とともに、ふわっと広がるコーヒーの香り。豆の産地や焙煎度合によって、フルーツのように華やかな香りやカカオやローストナッツのような深い香ばしさなど、驚くほど多彩な表情を見せてくれます。
田村さんの焙煎するコーヒーがドラマチックなのは、「どの温度帯で、どんな香りを出して、最後にどんな甘みを残すか」。 10秒単位のデータと世界基準の舌で、その味のストーリーを完璧に設計しているからこそ、飲む人の心が動かされるのです。
人々を惹きつけるのは技術だけではありません。 気になったことは全て確認し、納得いくまで追求するまっすぐな姿勢。
「この人が生み出すものなら、絶対に大丈夫」
そこには、確かな技術と誠実な人柄が築き上げた、田村さんへの信頼があります。
妥協なきプロ意識と、豊かな感性が織りなす“ハイブリッド”な味わい。 同じ豆でも、ここで味わう感動はまるで別物。人生で何度も出会ってほしい、記憶に残る一杯です。
併設のカフェでは、スペシャリティコーヒー(700円)やトップスペシャリティコーヒー(990円)の数種類の中から選ぶことができます。焙煎した豆は店内のほか、横浜元町中華街店、オンラインショップ、そして「ふるさとチョイス」で購入可能です。
取材日 2025/12/6
※掲載されている商品・情報は取材時点のものであり、変更される場合がありますのでご了承ください。
Information

Tsukikoya Coffee Roaster 山の上店
住所 神奈川県横須賀市浦郷町3-51
電話番号 046-876-8988
営業時間 10:30〜20:00
定休日 月曜〜木曜(祝日は営業)
アクセス 京急線追浜駅から徒歩16分またはタクシー(ワンメーター)で近くまで行き、徒歩数分。
URL https://tsukikoyacoffee.shop-pro.jp

Writerうみのとなり
ライター歴5年 「横須賀っていいな」「行きたいな、住みたいな」と思ってもらえる情報を発信しています。 地元の美しい自然・歴史・地域のあたたかさと魅力を伝えたい!Yahoo!ニュースライター 500件以上取材実績あり。地域クリエイター月間MVA2024年11月、7月、2023年7月連続受賞。

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